【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





 日本の春を飾る花といえば桜と相場が決まっているが、北京の秋を代表する花といえば菊の花であろう。その証拠に秋の九月(旧暦)を「菊の月」と呼び、9月9日の重陽節(ちょうようせつ)を菊の節句といい、そして秋の最後を飾るのが菊花展であり、というように菊は秋には欠かせない花なのである。「晩秋を支えるは、正にこの花なり」と、古の詩人や歌人がよく菊を歌ったのもそのためであろう。霜が降り、寒さも厳しくなる中で、いつまでもいつまでも秋の名残をとどめてくれる花、これが菊だというのである。パッと咲いてパッと散る桜と違って、菊は相当長く咲き続ける。その様子がまたいかにも華麗な姿と清らかな香りをもって、行き去ろうとする秋を引き止めているようでもあり、私たちも厳しい寒さに凍えながらも、「菊の花が咲いている間は秋」と思うと、心強く感じるのである。

 霞かかるがごとく一面に咲き染まる桜も、なかなか見事なものだが、大輪の菊の花は、一輪一輪が輝くばかりに品位があり、これまた立派なもので、いつもながら、鮮やかな菊を見るたびに、菊作りの苦心の程をかみしめている。今見る菊の花も、10年や20年の苦心ではない、数千年という長い歴史の中で作り上げられたものである。それだけに、菊の美しさに、私たちの心を強く打つものを感じないではいられない。

 ところで、日本では、菊は齢草(よわいぐさ)、百代草(ももよぐさ)などと長寿にちなんだ名で呼ばれているが、中国の古書をひもといてみても、菊と長寿に及んだ文字がたくさん見られる。この菊は仁徳13年(5世紀)に日本に渡ったそうだが、初めは鑑賞用ではなく、薬用植物、漢方薬の一つとして日本に紹介されたのだった。

 近代医学の分析によると菊には薬剤物質がいろいろ含まれ、冠状動脈の硬化を防ぎ、心筋の収縮力を強め、血圧を下げる効果があるという。聞くところでは、中国では50万年から100万年以上も昔の菊の化石が発見されているという。

また「礼記」という古書にある「秋のころ、菊に黄華あり」の一句に「菊」という文字が見られる。そのように菊は相当古くから中国の大地に根を下ろしていたのである。 また、2300年ほど前の戦国時代に生きた屈原の句に、「夕食に菊の料理いただく」とあることから、このころには菊の花も薬用だけでなく、料理として食卓にも並べられていたようだ。

 今でも、南の広東省に行くと、旧暦の9月9日に菊の料理が食卓いっぱいに並べられ、菊の味に舌鼓を打つ、これを「菊の宴」といって種々さまざまの宴会の中でも大変豪華版なのだそうだ。残念なことだが、これには私もいまだかつてお目にかかっていない。



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