九九消寒の図

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





北京の本格的な冬は12月に始まる。でも、北京市では11月の15日に団地にスチームが一斉に入り、冬の到来を告げてくれる。そんなわけで、市民たちもこの日を秋から冬への節目としている。

 12月の声を聞くと、だれもが気の焦りを感じないではいられない。この1年一体何をしたのか、振り返ってみてもこれといったことが浮かんでこない、空しさというのか、わびしさというのか、とにかくなんとも言えない気持ちに駆られる。はたしてこれが人生かと思うと、頭のてっぺんから足の先までが冷やっこくなり、身体全体がぞっとする。北京の12月はまさにそんな季節なのだ。そして冬至を境に寒さがぐっと厳しくなる。

 暦を見ると、今年は12月22日が冬至である。その昔、中国には、「冬至来たりて陽気起こり、万物うごめきて新しき生命生まれ出る。よって祝福すべし。」といい、冬至はおめでたい日とされ、「冬至にワンタン、夏至にそば」といって、冬至を祝う食べ物として、ワンタンを食べる風習があったようだ。もちろん、今では冬至を祝日とする人はいないが、北京の厳寒はこの日から始まり、九九八十一日間の厳しい寒さを乗り越えてはじめてうららかな春がやってくるという。一日一日数えながら待つ春、昔は今のような暖房設備もなかったので、それこそ指折り数えて凍えながら待ったに違いない。そうした気持ちを表したのが「九九消寒の図」である。

 冬至の日、枝に、一輪に9枚の花びらを付けた梅を合わせて9輪描き、毎日花びらに一枚ずつ色をつけてゆく、そして、九九八十一日過ぎると、「画中の梅すべて彩る時、外は緑に染まる」という詩句にも見られるように梅の花びらがすべて塗りつぶされた時、外は暖かい日差しを受けてうららかな春が訪れているというのだ。そして、一九から九九までの季節の移り変わりを歌ったのが「九九の歌」である。

一九二九は人に会っても手を出さず、 三九四九は氷の上を平気で歩く、 五九六九は河沿いに柳をながめ、 七九氷解け、八九雁戻る、 九九に一九たすころは、牛が鋤(すき)  引き田起こし始まる。

この「九九」は農村だけでなく、都市の生活にも深く染み込んでいる。「どおりで寒いと思ったら、もう三九だったんだ。」とか、「スケートはもうできないね、七九も過ぎたんだから」。まあ、こんな具合に「九九」は私たちの生活の中に生きているのだ。

でも、「九九消寒の図」を部屋に飾る家はもうないであろうが、気の利いたカレンダーなら、一九の始まりとか、一九の何日目とかきめ細かに赤い字で記入したものもある。それを見ては、「ああ、もう八九か、寒さも山場を過ぎたわけだ、これで長い冬も終わりだ。」とホッと胸をなで下ろす。



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