羊頭猪肉


高橋忠彦(東京学芸大学)

  唐や宋のころに、固形の茶が飲まれていたということは、文献では確認できるものの、今のところ実物は発掘されていない。もちろんお茶の塊が長期間原形を保つわけもなく、今のところ故宮に残る清末の固形茶(普 茶)が、最古のものであろう。これは、写真で見る限り、茶葉を固めたもので、現在のいわゆる緊圧茶(主に後発酵茶を、蒸して圧力をかけ、塊にしたもの)と同じである。

 中華料理のメニューに、ただ「肉」と書いてあれば「猪肉」(豚肉のこと)を指し、有名な「東坡肉」も、もちろん豚肉である。ただし豚肉が肉の代名詞になったのは、後代のことである。豚は太古より常食されてはいたが「美」という漢字の成り立ちや、「羊頭を懸けて狗肉を売る」という語が示しているように、上等の肉の代表格は羊であって、宋代の宮中では羊肉を貴んで、豚肉を食べなかったと伝えられる。

 北魏の『斉民要術』には、すでに豚肉の加工食品の製法が見えるが、今の豚肉料理につながる調理法が勃興し、豚肉の地位が高くなってくるのは、宋代あたりであろうか。宋の周紫芝の『竹坡詩話』によれば、蘇東坡は次のような詩を詠んだという。

 黄州好猪肉、価賎如糞土。富者不敢喫、貧者不解煮。慢著火、少著水、火候足時他自美。

 大意:黄州(湖北省武漢の東)の人々は豚肉が好きで、その価格は土塊と変わらないほど安い。しかし、金持ちは食べようとせず、貧乏人は食べるが調理法を知らない。とろ火にかけて、少しの水で煮込めば、やがて火が通っておいしくできあがるのだ。

 これが東坡肉の起源とされるわけだが、少なくとも豚肉が民衆に好まれており、蘇東坡がよりよい調理法を提唱していることはわかる。

 また、宋の釈恵洪の『冷斎夜話』には、五代のころ、蜀(四川)の山寺の僧が、豚の頭を蒸した料理を詩に詠んだことが見える。 蒸処已将蕉葉裹、熟時兼用杏漿澆。紅鮮雅称金盤薦、軟熟真堪玉 挑。若把羶根来比並、羶根只合喫藤条。

 大意:蒸す際は芭蕉の葉に包み、火が通ったらアンズの汁をかける。赤く美しい料理は金の皿につりあい、柔らかい煮上がりは玉のはしで食べるのに似合っている。これと比べれば、羊肉(「羶根」は、唐宋のころの語で羊肉のこと)などは藤の蔓をかむようなもの。

 ここでは、蒸した豚肉の特徴たる柔らかさが、羊を超える長所として描かれ、料理法としても現代につながるものが感じられる。


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