提灯祭り

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





2月になると、北国の北京といえど寒さは峠を越え、どことなく春の気配が感じられる。このころから、お天気のよい日など公園や街角の日だまりで、お年寄りがまだ冬の装いではあるが三々五々日に当たりながら四方山話に花を咲かせている風景を見かける。こののどかな風情に、自分がお年寄りの一員であることも忘れ、ついたたずんだまま見とれてしまう。人生の冬を迎えた者にとって、春の日差しほど恋しいものはないのだろうとつくづく感じた。

 2月はまた旧暦の正月でもある。旧暦の正月元旦を「春節」という。そして、旧正月の15日を「元宵節」といい、また「上元節」とか「灯節」つまり提灯祭りともいう。「春節」はその前の晩の大晦日から始まり、15日の「元宵節」まで続く。それだけに「元宵節」は旧正月「春節」の最後を飾るクライマックスというわけである。その上、元宵節は新春に入って迎える最初の満月の夜、人々は飾り付けられた無数の提灯、灯籠を見物し、歌い踊って、夜を徹して遊ぶのだ。形こそ違えど、この風習は今も変わらない。

 元宵節は古くは道教と深いつながりがあり天地水三官大帝を祭る活動の中で生まれた三元節、つまり、正月15日の上元節、7月15日の中元節、10月15日の下元節のひとつである。「史記」の楽書によると漢代の武帝(紀元前140年)の時に正月の最初の辛(かのと)の日に、太一神(天の最高の神)を甘泉宮(かんせんきゅう)で祭ったことに始まるとされる。これが更に後漢(西暦25―220)に入ると、西域を通って仏教とともに、「燃灯」の俗も入ってきて、道教とのかかわりが薄れ、仏教の行事となる。特に明帝は仏教を提唱するため、元宵の日に仏様に対する尊敬の意を示して提灯を飾ることを庶民に義務づけた。これがずっと唐代まで続き、ついに宗教とは関係のない民間の伝統的な風習、盛大な提灯祭りになったのだという。

 元宵節には「元宵」と名づけた団子を食べる風習がある。南方では「湯円」といい、一家団らん、一家の和睦、幸せを象徴するもので、元宵節には欠かせない食べ物である。

 日本には上元節、つまり元宵節は伝わっていないようであるが、中元節のほうはデパートのギフトコーナーをにぎわすお中元という形でまがりなりにも受け継がれているし、中元節と源をひとつにするお盆はお正月に次ぐ盛大な祝日としてしっかりと受け継がれている。だが、本家本元の中国では古くは中元節がお盆に取って代わり、現代に入るとそのお盆も姿を消してしまい、中元節は影も形も残っていない。下元節にいたっては両国で完全に姿を消している。昔の三元節の中、中国で上元、日本で中元の二つの節句が残っていることになる。ここからも、両国の深い文化のつながりを知ることができるのではないだろうか。



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