(No.14-9904)【曽徳深】
 「中華街の関帝廟通りに面して小さな公園がある。200坪ほどの小さな公園である。道路際に何本かのドングリのなる常緑樹と、奥の左側隣地の境に3本のさくらの樹、その前には、ブランコとジャングルジムとシーソーがある。そして公園のほぼ真ん中に大きなケヤキの樹がそびえ立っている。公園を囲む三方には民家があり、その一軒の建物に華僑婦人達が運営する保育園がある。天気のよい午前中、保育園の幼児に混じって、街の就学前の子供が親や保母さんの見守るなか、思い思いの遊びに熱中する。遊び疲れたころちょうどお昼ご飯、おなかを満たせばお昼寝、日なたぼっこの老人を残して小さな公園はひとときの静寂に戻る。夕方近く、公園はまた子供の声で満たされる、放課後の近所の子供の遊び場となる。
 横浜開港資料館が発行した「横浜中華街―開港から震災まで」を見ていたら、一枚の写真が目にとまった。それは、駐横浜清国領事館の写真で、説明には「『日本写真帖』(1910年)より 1883年に居留地135番地に新築された清国領事館。関東大震災で倒壊」と記されている。地図にあたると、いまの小公園は、関東大震災までは領事館があった、そしてその前には中国劇場の会芳楼があったらしい。写真にもう一度目を戻すと、2階建のそばに屋根近くまで伸びた樹があり、枝ぶりから推測すると、どうもケヤキらしい。位置的にも今ある場所に近い。震災と空襲を生き延びたとしたらすばらしい。
 あの堂々とそびえ立つケヤキの幹に耳を当てれば、地下水脈に連なる昔の物語が聞こえるだろうか。


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