中華街でニイハオ!
韻(YIN)


區傳宗.全麗英さん(インタビューアー曽峰英)


 小学生のころ、スイミングスクールに通っていた。毎日いやいやながら通っていたその途中に、楽しみにしている店があった。
 その店「楊貴妃」は、アクセサリーや小物を扱い、20代後半〜の女性客中心である。そんな店に10歳にも満たない子供が一人、大人に混ざって品定めをする、なんとも「ませた子供」である。きらびやかなアクセサリーを見ながら、それを身に付けた自分の様を想像し、いつかは…と夢見たものだった。そんな私を、行くたびに相手してくれたオーナー區傳宗(くでんそう)さん1949年生、神戸っ子の奥さん全麗英(ぜんれいえい)さん1950年生。
 區さんはアメリカンスクールを卒業。小学3年生から、当時では珍しかったサッカーを始めた。
 青春時代、グループサウンズが一世を風靡したころは、サッカーをしながらもバンド活動に明け暮れたという。卒業後、社会人になっても大好きなサッカーと縁が切れることなく、なんと香港のプロサッカーチームのメンバーとともに試合に参加、プロになることを求められたこともあるが、最終的には仕事を選んだ。 一方、奥さんの全さんは、神戸同文中華学校卒業、のちにトーアロードにあった当時憧れの的、アメリカン・ファーマシーに就職した。アメリカ製の小物や雑貨、雑誌が所狭しと並ぶ職場であった。ゆえに第一条件は英会話、面接ではアメリカの新聞を読まされたとか。
 そんな横浜と神戸の2人がなぜ知り合ったのか…。ある日、區さんは家のテーブルに置かれた全さんの写真を見て、すぐさま神戸へ。俗に言う見合いである。後1974年2月に結婚。「本当はねその写真、別の男性の所に行くはずだったのよ」と全さん。
 2人で中華街善隣門の側に店を構え25年、店を軌道に乗せるため15年間休まず営業した。店を始めるまで貿易会社に勤めていた區さんは、自分の貿易経験を生かせる商売を考えた。オイルショックの後で景気も悪く、腐らないもの、というとアクセサリーや小物は好都合だった。のちに衣服も扱うようになり、その仕入れ先はアメリカ、ヨーロッパ、中国と世界にまたがっている。アクセサリーは、手作りの一点物にこだわっていて、特に力を入れているのは、常にトータルファッションに気を遣って品ぞろえすることだという。ゆとりができた2人が今熱中しているのは、週1回の二胡(にこ)のレッスン。「二胡でクラシックが弾きたい」と話す。區さんは学生時代にバンド、全さんは幼少のころにバレエ、と芸術肌夫婦で、子供たち3人は、それぞれにそんな二人の血筋を引いている。
 長女の愛美さん23歳は、去年歌手デビューを果たし、CD『mood』には「料理バンザイ」のテーマソング「手紙」「素顔のままに」がリリースされ、彼女「AiMei」が作詞作曲した「月」は緩やかな旋律が耳に障ることなく、風の流れに似たメロディーを放つ。次回発売されるドリーム・キャストではリリー・チェンを演じ、エンディングテーマを歌う。次女の愛玲さん19歳は日本女子体育大学の舞踊科に通い、中華街では中国民族舞踊や獅子舞に出演するなど、彼女の持つ舞踊の幅は広い。長男の祥誠くん12歳は、小学四年生までアメリカン・スクールに通い、現在は横浜山手中華学校に通うトワイリンガルである。區さんは言う、「学歴だけでは食べていけない」と。
 「職」の中に語学が含まれる。国際化が進み、語学は多大な影響力と、自分自身を救う手だてにもなっている。その上子供は大人にない柔軟性と、驚異的な吸収力を備えている。そんななか、中学高校の授業たとえば英語は、受験中心で文法を重視される、ゆえに実践の英会話力は皆無に近い。
 ならばせめて小学6年の一年だけでもしっかりした発音で会話力を身につけられたら何かが変わっていくだろうと期待するのだが…。
(インタビュー 曽 峰英)

1998年に発売CD「mood」

     



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