社交ダンス

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





 北国の北京、春の訪れは江南の春に比べずっと遅れ、その上はるかに短い。春といえる季節はたった30日しかない。あっという間に春は過ぎていくといっても少しも大げさではない。
 詩人はあまりにも早く立ち去る春を惜しみ、「惜春」という言葉でその気持ちを表現した。北京に長く住んでいると、この「惜春」の含みが分かってくるような気がする。おぼろにそう思うだけなのかもしれない。でも、春の訪れは長い冬からの開放感を与えてくれる。それが一瞬であろうと、身も気持ちもうきうきしてくる。

 そんな時、美しいメロディに乗って、身も軽やかにスロウ、スロウ、クイック、クイックと踊る姿、なんていったら、ウエディングドレスに燕尾服姿を思い浮かべるに違いない。実はこれは北京の街角の小さな公園やちょっとした広場でよく見かけるお年寄りたちのダンスに興じる姿である。
 毎日朝早くから2,30人がラジカセで音楽テープを流し、1.2.3、2.2.3と楽しく踊りながら体を鍛えているのだ。これはお年寄りたちのトレーニングの一つなのである。ジョギング、気功、ヤンコウ踊り、太極拳などと自分の好きなものを選んで参加しているわけだが、だれが決めたわけでもなく自然にそれぞれのコーナーができ、ここではダンス、あそこでは気功と決まっている。
 放送局ビルの向かいの広場は、朝は気功、夕食後は社交ダンスと決まっているようで、人の集まりも格別に多い。朝早く、緩やかな荘厳な仏教音楽に合わせ、数百人が一斉に舞う太極拳、そこには神秘的な雰囲気が漂っている。そこも、夕食後には野外のダンスホールと化す。明るい音楽が流れる中を軽いステップを踏んで踊るお年寄りたちの姿、まさに「夕陽無限好(夕陽限りなく麗しきかな)」である。

 春を迎えて心も踊るからであろうと思うが、真冬でも同じ情景が見られるのだ。北京の一番寒い時期といえば、12月から1月であるが、ちょうどそのころ、うちの家内が手術で入院したので、私も看病のための病院通いを始めた。
 毎日通る首都体育館前、そこはちょっとした広場になっていて、書籍の市など開かれることもあり、普段はトレーニングに励む人でにぎわう。ここは真冬でも、朝の8時ころには数十人のお年寄りが集まり、防寒具に身を固め、その格好はダンスとは似ても似つかぬもので、お世辞にも美しいとはいえないが、ご当人たちは、いとも楽しそうにラジカセから流れるメロディーに乗って、社交ダンスを楽しんでいる。木枯らしが吹く日も例外なく欠かすことがないが、さすが木枯らしとあってか、参加者はいつもの日よりずっと少なく、5,6組。ちょっと寂しく感じるが、でも、えりを立て、首をすくめて木枯らしの吹く中を踊る姿も、またすばらしいものである。


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