(No.15-9906)【曽徳深】
交通事故を目撃した。ドンという音に振り返ると、駐車している車と走っている車の間から、若者が宙を飛んで、頭から地面に落ち、ヘルメットが抜け、頭を抱えてその場にうずくまった。頭から顔にかけて血が流れ出している。後続の車にひかれるのを恐れてか、若者は頭を抱えながら駐車中の車のかげにいざり寄った。接触を起こした車から金髪の若者が飛び出してくる、私も駆け寄る。「大丈夫か?救急車を呼ぼうか?」「大丈夫」とケガ人は答える。「頭の傷は怖いよ、医者に行ったほうがいいよ」、横から金髪が「いい、自分たちで解決するから…、血を洗い落とそう」とケガ人を目の前のパチンコ店に連れていってしまった。やむをえずその場を離れたが、心配と釈然としない思いが今でも残っている。ケガ人がなぜ救急車を拒んだのか、拒むわけがあるとしても、命にかかわる不安をなくすのがこの場合最優先するのではないのか…。
最近交通について気になっていることがある。歩行者が信号を無視する、横断歩道のないところを横断する、激しく車が行き交う路を平気で歩く、などが目立って増えている。老若男女、年令、性別に関係なくである。タクシーの運転手に尋ねてもそうだという。なぜだろうか?私は次のように推測する。第一に、こらえ性がなくなった、すぐキレルのは子供ばかりでない。第二に物事を甘く考え、他力本願、無防備になっている。社会全体がぬるま湯につかって、幼児がえりしつつあるのではないのか。科学技術や経済の前進は、人間が自立心を確立する必要十分条件ではないらしい。


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