中華街でニイハオ!
叡(EO)


     黄偉初さん

横浜中華街南門から前田橋を渡り、元町を抜けて山手の丘に立つ、そこに横浜山手中華学校はある。幼稚園生から中学3年生まで約300名の児童・生徒がここに学ぶ。校舎は小さい、校庭は狭い、しかし大きな志を胸に日本の国際化を具現する、開かれた学校である。
 この山手中華学校の校長が黄偉初(こういしょ)さん、1940年生まれ、59歳。
 1898年創立の「大同学校」を前身とするこの学校は、昨年創立百周年を迎えた。歴史を振り返り校長は語る。「百年前の昔から、横浜の華僑は次の世代に自らの育ってきた文化と言葉を伝えていきたいと考え、その華僑とともに中華学校は歩んできたわけです。関東大震災・戦災・52年の学校事件と、学校が存亡の危機に遭うと、華僑は自分の生活を後回しにしてでも学校を復興させるために奔走してきました。奮闘の歴史の中で華僑が学校を支え、また華僑にとって学校は精神の拠り所でもあったのです。」過去、日本の社会の中で中国人の政治的経済的制約はかなり大きかった。「今の横浜中華街の発展もここに中華学校があるからと考えられるんです。中華学校は中華文化の発信源ですから。学校があることで、中国人としての誇りを持って子供も街も育ったんだと思いますよ。」
 この学校の校歌は作詞馬広秀(元校長)、作曲黄偉初、すなわちこの人である。ただ、作曲したのは教師になる前の19歳の時、公募だった。当時「黄河」という合唱団を中国人仲間で組織しており、いずれ音楽の道に進みたいという思いを胸に秘めていたという。
 「親の1世の世代がぼくらを苦労して育ててくれたのを見ているから、自分も皆さんの役に立つ働きをしなければ、と思っていた。」しかし、「音楽を通してこの学校に迎えられたのでなければ教師をしていなかったかもしれない、華僑の別の公共の職場で働いていたかもしれない。」と笑う。
 教師になって37年、1993年より校長の職にある。日本で生まれ育ちこの学校を卒業した初の2世校長である。それまでは中国からの元留学生が務めていた。
 中国語と中国文化の普及をめざし、「三好五愛(体が健康で勉学に励み仕事をよくする、祖国を愛し学習を愛し労働を愛し公共物を愛し清潔を愛する)」の学生を育成するとともに中日両国の友好に貢献できる人材を育てる、というこの学校の教育方針は変わることはない。「しかし学校のスタンスは時代の要請に応じて変わるし、変わるべきだと思います。」
 今、生徒は華僑の3世4世が多い。山手中華学校を卒業すると日本の高校へ進み、日本人とかかわっていく。結婚するとなると、卒業生の95%は相手が日本人だという。その子どもは日本籍、接する言葉は日本語という環境である。そしてこの生徒たちは21世紀には世界を相手に国際的に活躍することになる。「当然柱になることは中国語を学び中国文化を継承することですが、同時に世界の多様な文化を学ぶ、世界で生きる力を養うことが必要になっています。」「そのためにも、自分で問題を見つけ解決する力量を身につける、自ら考え創造する力が必要です。その基礎を作りたい。」
 こうして校長に就任して以来教育の改革に着手する。中国語では聞く・話すに重点を置き、「使える中国語」をめざす。そのため、教授法および日本独自の教材の研究に中国の専門家と協力して取り組んできた。現在小学部の教材は完成、引き続き中学部の教材編集に取り組むという。また今春から小6の児童に英国人による英会話の時間を設けたという。
 生徒は、中国から来日した中国人、日本生まれの華僑、中国語中国文化を学ぶ日本人子弟、という多様性を示す山手中華学校。近隣の学校・地域と日常的に交流をもつ中華学校。日本が国際的な開かれた社会をめざそうとする今日、社会背景・価値観の異なる人との共生を考えるとき、この山手中華学校の歴史とその存在は、大きい。
(インタビュー 新倉洋子)
校庭で体育活動

     



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