端午の節句

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





 北京の6月は真夏である。今年は気候も少しおかしく、1月の中旬から2月の初め、北京の寒さの一番厳しいころ、春を思わせる暖かな日が続きほっとしていたところ、3月の末になり、団地スチームが止まったとたん、急に寒くなり、夜は布団に入っても足がなかなか暖まらず、本当に湯たんぽが恋しくなるほどであった。暖冬と春寒、春の後に冬が来たようでずいぶんとまどった。
 さて、今年は新中国誕生50周年である。半世紀を迎えた新中国、巨体がレールに乗り、やっとじりじりと動き出した感がする。それが街を歩いているとありありと目に映る。今北京は町全体が工事現場と化し、姿を大きく変えている。昔の王府井通りは完全に姿を変えてしまった。懐旧談が飛び交う今日このごろ、大きなビルが立ち並ぶ王府井通りを眺めながらため息をつき、残念に思う人も少なくない。時代の変遷についていけない人が国を問わずどこにもいるのだと思った。
 暦を見ると、6月18日が旧暦の5月5日端午の節句である。普段は新暦で日程を組む中国人も節句だけは旧暦である。実は40年以上も北京に住む私もこの使い分けにはどうしても慣れない。その点は中国生まれの人は強い、自分の誕生日が旧暦で何月何日、新暦で何月何日とはっきり覚えているのだから感心する。だから、今ごろになって5月5日の端午の節句なんていっても日本の人にとってはピンとこないのも当然である。でも、北京の街を歩いていれば、このころになるとどこの食料品店も店先に大きな看板を掲げ、ちまき(粽)の大売り出しが始まる。ちまき独特の香りが町中に漂う。それを見て端午の節句が間近に控えていることを知る。私の若いころはよく自分で作ったものだが、今では手軽に買えるのでこの20年はほとんど作っていない。
 このちまきだが、形や具の違いで何十種類もあるが、大きく分けて、北京のちまきに代表される北方型、広東のちまきに代表される南方型、そして揚子江下流一帯の中部地方のちまきと3種類ある。もちろん形も味もそれぞれ特色を持っており、どこのが一番おいしいかと聞かれてもなんとも言えない。やはり故郷の味が一番おいしいのではないだろうか。
 ちまきの由来といえば、楚の国の忠臣屈原がぬれぎぬを着せられ島流しにあい、都から遠く離れた汨羅江という川の近くで祖国が滅びたことを知り、悲しみのあまり川に身を投げた、人々は屈原の死を悼み、屈原の体を魚から守るため、ちまきを川に投げ入れたのが始まりだといわれる。だが、これは伝説で、実際にはそれ以前、今から4、5千年も前、竜をトーテムとした百越(ひゃくえつ)族が、竜を祭る儀式でごちそうを作って竹筒に入れ、川に投げ入れ竜に食べさせたのが始まりだといわれる。でも、屈原は竜の子孫に恥じない人物だから、端午の節句の主人公になって当然のことであろう。

イラスト/杉山友貴


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