中華街でニイハオ!
魁KAI  KI


呂行雄さん

 1999年9月9日、東京のホテルオークラを会場に、一年半の準備を経て一つの組織が結成された。「日本中華総商会」、日本にある華僑・中国系企業の初めての全国組織の経済団体である。
 現在、日本には27万人余りの中国人が生活している。72年の日中国交回復時に日本に住んでいた中国人は五万人弱、老華僑と呼ばれる人々である。その後80年代に中国の改革開放政策により来日した中国人は新華僑といわれ、在日中国人の大多数を占める。この二つの華僑が携わる企業と、中国資本の企業を会員としてこの団体は結成された。視野には世界が入っている。 
 会のまとめ役、初代会長に就任したのが、呂行雄(ろこうゆう)さん、1939年生まれ60歳。 呂さんは横浜生まれの華僑二世である。若いときから横浜の華僑の団体である横浜華僑総会の役員、のち会長として、華僑間の互助互済をはかり、経済的・文化的地位を高めるべく、日中間に国交がないときから県や市と交渉し、華僑の生活環境を整えてきた。
 「先代は異国の地で力を合わせて生活してきたわけでしょう。それは見習わなければ。」「ふるさとなんですよ、生まれ育ったこの中華街は。この町が好き、という気持ちはだれにも負けないですよ。だから一生懸命やるんです。」
 こうして長い活動の時間をかけ、日中両国、政治経済界に広い交友関係をもち、交渉力を培ってきた。「これら幅広い人々と知り合えたことは私の財産ですね。」
 呂さんは横浜中華街、関帝廟通りにある老舗「萬来軒」の経営者。
中国広東省鶴山県出身の呂さんの父呂沢明さんは14歳で来日、33年に日本人の母江川鷹さんと萬来軒を創業した。横浜中華街でも戦前からの料理屋というのはそれほど数はない。家族労働で父親が調理場、母親が接客という分担で、「おとなしい父としっかり者の母ということですね、ぼくも調理も出前持ちもしましたよ。」 「あの人は日本国籍のままで、中国籍にならなかったんだ。選挙には必ず行ったね。自覚ある立派な日本人であり、立派な中国人の子供の母でしたね。」と中国人のなかで生活した日本人の母を語る。
 萬来軒にはメニューがなかった、15年前店を改築するまで。来店した常連客は食べたいものを言う。するとそのとき一番ふさわしい調理方法で出してくれる、というわけである。居心地のよい店として通う人は多く、今お得意さまは4代目の赤ちゃんまで。
 「母はものすごく好き嫌いの激しい人だったんですよ、お客さんの。好きな人にはとことん面倒見るわけ。だからそういう人たちが自然と集まってきたわけですね。一見のお客さんはほとんどいなかったなあ。」と、昔の萬来軒を振り返る。
 ここ萬来軒のお勧めは?「咸菜炒豚肉は高菜と豚肉を炒めたもの。酢がなんともいえないんですよ、それに砂糖を使って食欲をそそる味です。こっちの大良炒鮮 は卵の白身と牛乳を、カニ肉を入れてふわっと炒めたもの、素材はなんでもないものなの、コックさんの技術ですね。蒜茸開辺蝦というのは中くらいのえびを開いてにんにくとしょうがで蒸してね、ほかで味わえない家庭料理ですよ。」
 「青椒肉糸、春巻きは日本中どこでも味わえるでしょう。中華街へきたら新しい挑戦をして欲しいな。店店の特徴ある料理を食べる勇気を持って欲しいですね。その人の食文化の幅を広げることになるからね、楽しいと思うよ。」
 「お店の主と友達になって、プラスアルファを求めてください。」 インタビュー中に来客あり。「そばでも食べてってよ。」
 八歳年下の奥様とは町内の顔見知り、「なんとなく一緒になったな。」呂さん今年60歳、その奥様からのプレゼントは赤いウサギの模様のネクタイ。身長185センチ、体重90キロの呂さん、「今度ハレの舞台にはその赤いウサギのネクタイするからね、見てね。」
(インタビュー 新倉洋子)




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