臘八粥 

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





 いよいよ12月がやってきた。この12月の別名を臘月(ろうげつ)といい、12月8日を臘八という。この日は一年の農事が無事に終わったことを、農作物や狩猟で得た禽獣を捧げて宇宙万物に感謝し、祖先をまつる祭り、臘八節である。
  この日に臘八粥というお粥を食べる風習がある。これは南北朝時代(4201589)に仏教が盛んになったことと関係があるようだ。中国では釈迦の成道の日が12月8日とする説があり、そんなことから臘八節は仏教行事とも結びつき、唐、宋代以降はさまざまな果物を入れた臘八粥を作って、灌仏会を行い、檀家に配ったり、貧困者を救ったものだが、臘八粥についてはこんな伝説がある。釈迦は苦行を続けて生命の真理を求めるが、12月8日飢餓と疲労で路上に気を失って倒れてしまう。そこを通りかかった羊飼いの娘が羊乳の粥を食べさせて釈迦を救う、その日に釈迦は菩提樹の木の下で悟りを開くのである。釈迦が食べた命救いの羊乳粥が臘八粥の起こりだという。
 『夢粱録』に「この月の8日、寺院では臘八といい、大刹などお寺では五味粥を用意する。その名を臘八粥という」とあり、北宋の詩人蘇東坡も「今朝仏粥更に贈答しあう」の詩句を留めている。臘八粥はやがて民間に普及し、宮廷までがこの隊伍に加わった。元朝の孫国勅は『燕都遊覧志』の中で、「12月8日百官に粥を賜る、民間でも臘八粥を作る」と記している。ここからもその盛況ぶりがうかがえよう。そしてこの風習は現在もほぼ同様に続いている。今店頭に並ぶ「八宝粥」も臘八粥を商品化したものである。
 さて、食べ物の話になったが、いつだったか友人が、「北京に回転寿司の店ができたぜ!一回行ってみないか。」と言った。「そんなのすぐつぶれるよ。北京ではやりっこないよ。」そう言って私は相手にしなかった。そのうち、あっちこっちにオープンしたという情報が入ってきていささか腑に落ちず、首を傾げていたところ、我が家の近く復興門外大通りに立派な回転寿司屋がオープンした。これこそ百聞は一見にしかずである。間違いなく日本のお寿司が北京市民にも好まれているのだ。私は好奇心に駆られ客がどのくらい入っているのか窓越しにのぞいて見た。驚いたことにほぼ満員である。でも、客のほとんどが外国商社等に勤める若い高給取りのホワイトカラーで、高級料理を楽しんでいるようであり、一般サラリーマンでないことは一目で分かる。ここが日本との大きな違いであろう。
 この店から数軒先に「火鍋城」という鍋料理の店がある。寒さが身にしみる12月ともなれば、生っ粋の北京子にとってはこの「火鍋(フォーグォー)」が一番。湯気が立ちこもる店内で、ワイワイとお祭り気分になって楽しんで食べる。何と言っても「火鍋」は庶民向きである。日本の寿司もこれには太刀打ちできそうもない。
イラスト/浅山友貴
         


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