なべ料理

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





 2月といえば、暦の上では春です。でも、北国の北京は並木も一糸まとわず丸裸で、春らしさは少しも見られません。が、立春と聞いたとたんに、不思議なもので、いくら北風が吹こうと気持ちは春めいてくるものです。とはいうものの、北京の2月はまだなんといっても冬で、厳しい寒さです。この寒さをしのぐに最もいいのがなべ料理でしょう。

 北京のなべ料理といえばしゃぶしゃぶです。今ではしゃぶしゃぶも各家庭に進出していますが、これは文化開化のたまもので、しゃぶしゃぶに使う肉を切る機械の出現によるものです。それまで、しゃぶしゃぶが完全に家庭料理になりきれなかった主な原因は肉の切り方にあったのです。一流のコックさんの切った肉は「薄く紙のごとく、皿に載せると、皿の花模様が透けて見える」といわれますが、それまでの腕になるには相当の年季が入らないとできないのだそうです。その上、一人のコックさんが切り上げる一日の量も高の知れたもので、毎日ワンサワンサと押しかける店のお客さんだけでももう精一杯というありさまでしたから、家庭用にとまでは余裕がなかったのです。こうした状態に終止符を打ったのが肉を切る機械の誕生です。その生みの親というのが、実は、機械とはなんら関係のない年配のコックさんだったのです。一台目の機械ができたのは今から15、6年前で、その後改良に改良が加えられ、今では、相当年季の入ったコックさんにも負けない機械が生まれています。その恩恵にあずかって、私たちの食卓でも気軽にしゃぶしゃぶが食べられるようになったわけです。

 130年前までは、王侯貴族をはじめ、ごく少数の人たちのための宮廷料理であったこのしゃぶしゃぶも、130年前に北京の街にしゃぶしゃぶの店がはじめてオープンして以来、庶民の間に広まり、現在にいたっては、さらに個々の家庭に入り、いっそう広まったわけで、これほどうれしいことはありません。

 私の住む家の近くに、とてもおいしいしゃぶしゃぶを食べさせてくれるお店があり、その名も「八先生しゃぶしゃぶ店」というおもしろい名前がついています。どうして八先生なのか、不思議に思って聞いてみますと、「子、丑(うし)、寅(とら)…の十二支の8番目は未(ひつじ=羊)でしょう?」という、なるほどなかなかしゃれてるなと思いました。実はこの店、大通りから少し外れた路地の奥にあり、表門もあまりぱっとしません。こんな所にしゃぶしゃぶの店があるなんてだれも思わないでしょう。ですから、その前を通ってもきっと通りすぎてしまいます。ところがこの店、いつ行っても込んでいて、よくもこんな場所でこんなにも繁盛するものだ、と首をかしげてしまいます。



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