(No.7-9804)【曽徳深】
 信用不安

 「金は天下の回りものというが、おれんちの前はいつも素通りさ」とぼやく熊さん、「あたぼうよ、オアシというぐらいだから、逃げ足がはえいのさ」とまぜっかえす八ちゃん。金欠病がまん延している。

 貧乏長屋の住人は慢性金欠病患者なので、なんやかんやぼやきながらも耐えしのいでいるが、およそこの病気に縁がなかった大店の旦那衆は大変である、ご公儀巻き込んでの大騒ぎ。そもそも今回の金欠病を引き起こしたのは、浮かれ景気のシャボンがはじけた後、「金融ビッグバン」という黒船が現れたのに、勘定奉行の役人は茶屋遊びに明け暮れ、ご公儀の中ではわいろがはびこり、ご政道をないがしろにしたためだと、しがない町の衆はささやきあっている。が、良い思案があるわけもなく、民百姓はきつねうどんの代わりに素うどんを、毎日の晩酌を一日おきにとけちって小銭をたんすの奥にためこんで、不景気の嵐が過ぎるのを待っている。

 お金は経済の血液といわれている、その血液の流れがおかしくなっている。日銀はお札を増発して一生懸命に新しい血液を輸血しているが、容体はいっこうによくならない。血液を送り出す心臓の役割を果たすべき銀行が、貸し渋りという症状にかかってしまった。信用不安である。

 「信」とは何か?辞書に、人と言とを組み合わせた会意文字で、言は誓言、神に誓う語であると説いている。人間はお天道様にうそをつきすぎた、「うそ」を養分にして不信の種が芽を吹き出してきた。どうすればよいのか……。

 うそをつくのをやめればよい。


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