黄塵万丈(こうじんばんじょう)

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





 北京の春は4月から始まる。北京の春といえば、すぐ連想するのが「黄塵万丈」という言葉である。これはその昔、空一面を黄色く染める黄塵の形容に使われた言葉である。

 黄塵万丈を体験したことのない人にはなかなか分かってもらえないであろう。青空が一瞬にして黄色く染まり、まばゆい光を放つ太陽が丸く赤くくっきりと肉眼で見える。幼い頃に日食を見るためにガラスに墨を塗り太陽を見た記憶があるが、それとまったく同じなのだ。真昼間が夜のように暗くなり、何かが起こるのではないかと、恐ろしく感じるほどだ。もちろん、家の中は明かりをつけるが、気は暗くなる。Yシャツの襟も半日で黒くなるし、机の上も半日で塵が積もる。ひどい時にはこの黄塵が海を渡り日本列島にまで及ぶと聞く。

 私は、日本から中国へ帰国した1950年代半ばから80年代の半ば頃まで、黄塵万丈のすさまじさを身を以て体験してきたが、それがほとんど見られなくなったのは全くつい最近のことである。

 北京市民がよく口にする言葉に「北京に来るなら9月か10月にどうぞ」というのがある。「春の4月にどうぞ」とは絶対言わない、今でもそうだ。黄塵万丈は確かにあまり見なくなったが、4月は季節風の影響を受けて、雨が少なく乾燥し、強い風が大地をなめるように吹きまくり、ちまたのごみまで宙に巻き上げてしまう。故田中首相が日中国交正常化を成し遂げた時も9月に北京入りしている。「北京の気候は何時がいいかね?」と今は亡き孫平化氏に聞いた時、孫平化氏もちゅうちょすることなく、「9月か10月」と答えたそうだ。これは北京に長く住むものならばだれもがそう答えるに決まっている。日本人なら桜の咲く4月にどうぞと言うだろうが、北京は春より秋がよい。そのそもそもの原因が4月の西北から吹き寄せる黄塵をはらんだ風にあるのだ。その頃、北京ではよくこんな情景を見掛けた。街をゆくほとんどの女性、とてもモダンな姿をしたお嬢さんまでが風呂敷ほどの大きなベールを頭からすっぽりと被り、首筋のところでしっかり結ぶのだ。当時、日本の友人、特に女性は異様な感じを持たれたのであろう、「あれどういうこと?」とよく聞かれたものだが、これは、目や鼻、口、耳などを黄塵から守るには、実に効果のある方法であり、これがまたその時期のおしゃれでもあったのだ。日本人女子留学生ももちろんすぐその列に加わった。いや、加わらずにはいられなかったのだ。郷に入れば郷に従えとはこのことかもしれない。

 でも、これはもう既に一昔前の話になっている。この数年中国では緑化運動がぐんぐん進み、北京の北部にグリーンベルト地帯が何本もでき、砂塵を抑え、北京を守ってくれている。ありがたいことに、今の北京の4月は、迎春花、アンズの花、桃の花、玉蘭、沈丁花などが前後して咲き誇りきれいな花で飾られる。

 


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