酒茶相得


高橋忠彦(東京学芸大学)

 中国において、酒が太古から重要な飲料であったのに比べると、茶が全国に普及したのは唐代のことであり、いわば新興勢力である。しかし、すぐに酒と茶は対等の存在となり、敦煌で発見された『酒茶論』(宋の初めころ)に見られるような、酒と茶の比較が、絶えず行われて来た。『酒茶論』では、酒と茶がそれぞれ自分の価値を主張して、最後に「水」が調停するという形を取る。
 確かに酒と茶は、酩酊(めいてい)と覚醒の異なった効果をもたらし、同一視することはできない。唐の詩人の豪放磊落(らいらく)な世界と、宋の文人の端正な生活を比較して、前者が酒、後者が茶に象徴されるという議論もある。ヨーロッパでも、中世のビールによる酩酊の世界が、近代の茶やコーヒーの覚醒の時代に取って代わられるという現象が見られる。
 ただ、中国では、茶が酒を排除するということはなく、唐宋以後の文人の生活では、両者がそれぞれの存在意義を保ちながら愛されてきたといえよう。その典型として、宋の李正民の詩「余君贈我以茶僕答以酒(余君我に贈るに茶を以てし僕答うるに酒を以てす)」を見てみよう。
 茶称瑞草世所珍、酒為美禄天之有。碾砕龍団乳満甌、傾来竹葉香盈 。滌煩療熱気味長、消憂破悶醺酣久。(中略)欲酔則飲酒、欲醒則烹茶。酒狂但酩酊、茶癖無咨嗟。古今二者皆霊物、蕩滌肺腑無紛華。清風名月雅相得、君心自此思無邪。
 大意:茶はめでたい草として重んじられ、酒は天の賜物として尊ばれる。龍団茶を粉にしてたてれば乳白色が麗しく、竹の葉のような緑の酒を注げば香りは酒器に溢れる。後を引く茶の味は心の煩いと熱気を除き、ほろ酔い加減は心の憂いを忘れさせる。(中略)酔いたくなれば酒を飲み、醒めようとすれば茶をたてる。酒飲みはただ酩酊し、茶好きはむだに嘆かない。古来この二つは霊物とされ、ともに肺腑を清め心の乱れを除く。清風と名月はもとよりなじむもの。君も茶と酒を飲めば心が清められよう。  
 (イラスト浅山友貴)

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