枸杞茶餅


高橋忠彦(東京学芸大学)

 唐の『茶経』に引く『広雅』の「荊巴の間、茶を採りて餅を作る」という記事は、中国で、相当古くから、茶を固めて餅茶(へいちゃ)にする習慣があったことを示している。餅(へい)とは、平たく固めた乾燥食品を意味するが、唐代の餅茶の作り方は、『茶経』によれば、蒸した茶の葉を搗(つ)いて平たく固め、あぶって乾燥させるものであった。茶を愛する者が、臼や杵などの素朴な道具を用いて、自ら製造できるような茶であったといえる。
 その後、五代から宋になると、福建にあった北苑という茶園で、天子に献上するために、より精緻な固形茶(龍鳳団茶という)が作られるようになった。南宋の趙汝礪(じょれい)が書いた『北苑別録』に、団茶の製法の詳細が記されているが、これはもう工業製品というべきもので、人手と時間をかけて、最高級の茶の葉(芽)を限界まで細かくすりつぶして固めたのである。
 しかし、このような高尚な固形茶が全てではなく、民間では、糊料や増量剤を混ぜた粗悪な固形茶が作られていたといわれるし、それ以外にも、薬草を混ぜたものとか、いろいろ作られていたことが、容易に想像される。次に掲げる詩、元の黄 (こうかい)の「採枸杞子作茶餅子(枸杞子を採りて茶餅子を作る)」は、クコの実を混ぜて茶餅子(餅茶)を作るという珍しい内容で、山中の隠士が、自由に多様な固形茶を作っていた様子を示している。
 流水河辺見碧樹、上有万顆珊瑚珠。此疑仙人不死薬、黄鵠銜子来方壷。露猶未晞手自採、和以玉粉溲雲腴。臥聴松風響四壁、未老更読千車書。
 大意:流れる川の畔に茂る樹を見上げると、赤い珊瑚の粒(クコの実)が無数に実っていた。これは黄色いおおとりが東海の仙島からもたらした、仙人の不死の薬ではなかろうか。朝露の乾かぬ内に手ずから摘んで、玉の粉(米の粉か団茶の粉であろうか)と茶と混ぜて茶餅を作った(雲腴(うんゆ)は茶のこと)。横になって松風の音(茶をいれるために沸かす湯の音)が部屋に響くのを聴く。クコと茶の効能で視力がよくなれば、老いるまでには、まだ山ほどの書物が読めるというものだ。
(イラスト浅山友貴)
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