重陽節 

【陸汝富(北京放送)】


イラスト/浅山友貴





 10月1日は国慶節、早いもので、今年は新中国が誕生して50周年を迎える。この50年、北京も大きく姿を変えた。国慶節を前に9月28日、北京の三本目の地下鉄、北京城を東西に横断する地下鉄復八線が開通した。西は家のすぐ近くの復興門から東は八王墳まで、全長13・5キロ、北京の中心天安門、繁華街の王府井等を通る。こうして北京の地下鉄も、これまでの地下鉄一線、地下鉄環状線を合わせると全長53キロ余りになった。もちろん東京とは比較にならないが、高く評価してしかるべきと思う。この北京のメインストリート長安街の真下を走る復八線は、将来八王墳から地上に上がり、市の郊外通県までレールで結ばれることになるそうだ。楽しみである。
 今年は10月17日が旧暦の9月9日、中国の伝統的な重陽節(ちょうようせつ)である。 重陽節は九が重なるので重九節ともいう。中国の古代、六を陰数といい、九を陽数といった。旧暦の9月9日は月と日が共に陽数であり、両陽相重なるので重陽、または重九といった。 重陽節、元はといえば、農家が豊作を祝う祝日であった。旧暦の9月は、まさに金色の秋の収穫の季節である。その上、「九」は「久」と音が同じで、「久久」は「永遠によろしく」「年々豊作」という意味を持つことから、9月9日を祝う風習は古くからあったようだ。歴史書をひもといてみると、今からおよそ2400年も昔、戦国時代には重陽節を祝ったという記載が見られる。それからさらに200年後、漢代に入って盛んになり、正式に節句となったのは唐代のことである。
 節句の付き物としての食べ物は、「重陽」という蒸し菓子である。残念だが今ではほとんど見かけない。行事で残っているものも、菊の花を愛でることと山登りであろう。重陽の日に山に登ることについてはこんな伝説がある。
 昔、費長房という道士がいた。ある日、弟子の桓景の顔色を見るなり、「9月9日おまえの家に災いが起ころう。今すぐ家に戻り、その日には、家のものを引き連れ、山に登るのだ。そして、もれなく茱萸(しゅゆ)を腕に挿し、菊酒を用意し、山の上で飲むのだ。そうすれば難は免れて全て無事に済むことだろう。」桓景は何が何だか分からないが、ともかく師匠の言うとおりに、9日朝早く一家のものを連れて山に登った。日が暮れて山を下り、家に戻ると眼前の情景に目を見張った。鶏や犬、牛や羊が全て死んでいたのである。この話はすぐに伝わり、9月9日重陽節には、厄を避け山に登るようになった。……
 重陽節に山に登る風習は今でも残っている。もちろん厄除けのためでなく、体を鍛えるために、日ごろ雑踏にまみれる都心を離れ、山に出掛けて新鮮な空気を吸ってくる。これまた結構なことではなかろうか。
         


目次ページへ戻る

横浜中華街
おいしさネットワーク