これはなぜ?

【碑の話】



横浜中華街近隣を歩いていると、「○○発祥の地」などという碑がよく目に付くけど、なぜこう多いの?  横浜中華街、レイトンハウスそば山下町160番地にある「我国西洋歯科医学発祥の地」の碑には「ここは万延元年(1860年)歯科医師として最初に来日した米国人ウイリアム・クラーク・イーストレーキ博士が、来浜3度目の明治14年に歯科診療所を開設したゆかりの地である。」とあります。
 1854年横浜開港以来訪れた外国人は、定められた「居留地」に商館を開き、居住しました。いま横浜の官公庁が並ぶ関内地区から中華街のある山下町、山手の丘にかけて、居留地は港に沿って広がっていました。「関内」とは「居留地の関門の内部」という意味。
 ホテル・ガス灯・電灯・上下水道・鉄道・電信・電話、そしてせっけん・マッチ・パン・ビール…。数え切れないほどの「日本ではじめて」がこの横浜の狭い居留地で始まったのでした。 横浜中華街の関帝廟の並び、歩道の脇には「日本国新聞発祥之地」の碑があります。ジョセフ彦が日本語の「海外新聞」を発刊した居館の跡で、ここは山下町141番地。80番地県庁通り角には、1862年に建てられた近代日本最初の教会、横浜天主堂の記念碑があります。1863年に英国人ミセス・ピアソンがドレス・メーカーをここに開店した、という洋裁業発祥の碑は97番地ホテルサンポート前…。中華街をちょっと歩くだけでこんなにたくさん。
 中華街のある山下町は、今も当時と道筋も地番も変わらない街。中華街を訪ねたついでに、130年前の地図を片手に、日本の文明開化の跡をたどる旅に出てみませんか。

 


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