珠江飯店の歴史と料理の歩み
珠江飯店的由来

1963年、横浜中華街に誕生した珠江飯店は、ことし35周年。皆様のご愛顧に厚く御礼申し上げます。珠江飯店が歩んだ道のりを振り返るこのページ、当時を知る方には懐かしく、そうでない方もこの珠江飯店でのお食事に、より味わいが増しますよう。


関連写真

45年〜60年代(開店以前〜昭和44年)
70年代(昭和45年〜54年)
80年代(昭和55年〜平成1年)
90年代(平成2年〜そして…)

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台所で夕食を作るアマー
 先代が中華街で商売を始めたのは終戦後、焼け野原に建てたバラックで揚げドーナツを売り、やがて「銘珍(めいちん)」という食堂を開業。一九四六年からは食品・雑貨の店「耀盛號(ようせいごう)」を始めました(現在も営業中)。
 先代夫人(アマーと呼ばれた)のつくる腸詰めや大根もちも店先に並べ、これが評判を呼び、珠江飯店開店への下地になったのです。
 この頃の中華街は船乗りでにぎわういかにも港町の盛り場といった雰囲気。まだ日本人は少なく、珠江飯店もアマーの家庭料理を楽しみにやってくる香港からの船乗りでいつもにぎわっていたとか。

▲開店当時
次男 曽徳成さん
当時は午前2時まで営業してたね。お袋がなべ振って、親父は耀盛號で、僕は開店から厨房で働いていたけど、皿洗いや雑用でみっちり5年しごかれて(笑)それからようやく料理をつくらせてもらえたなぁ。材料は毎日市場通りにお袋が買いに行って。その頃は川魚がいろいろあった。フナ、コイ、ライギョ…いけすなんかないから、仕入れたその日の内に料理する。今よりぜいたくかもね。メニューは当時50品位あったけど、船乗りがいろいろリクエストするから何でも作ったな。モツ料理は多分うちが中華街で最初に出したんじゃないかなぁ。

70年代(昭和45年〜54年) トップへ

当時の外観
 中華街はこの頃から、東西南北に門「牌楼(ぱいろう)」を建設するなど街づくり事業が活発に。1972年には日中の国交が正常化、中国ブームが巻き起こり、中華街は一転にぎやかな街になりました。中国料理も徐々に浸透し、この時期料理店が飛躍的に増えました。


調理部長 片岡叔民さん(1972年入社)
私が入社した頃はだいぶ街並が整っていたよ。ただ熱源に、コークスや薪を使う店もけっこうあったな。この店はもうガスになってて、設備がしっかりしてたよ。毎日忙しかったね。当時一番若いのは私で、なんでもやらされた(笑)。でもアマーにかわいがってもらったよ。小遣いくれたり、麻雀したり…。巻き揚げ、梅子鶏(鶏肉の梅肉ソース)、しいたけそばは当時から人気メニューだった。しいたけを1日300食分仕込んでもすぐ売り切れたよ。アマーからは季節感を大切にすることを教わった。春は掘り立てのタケノコ、夏はにがうり…お客様も、それを楽しみにしていたね。

80年代(昭和55年〜平成1年) トップへ

当時のメニュー写真。左上がウナギの煮込み、右下がカエルの炒め。
この頃から中華街は店舗の大型、高層化が進み、ツアーで来店する団体客が増えていきました。また、一般のスーパーにも中華調味料が並ぶようになり、本物志向が高まったせいか、日本人客には敬遠されがちだったカエルなどの料理も、そのおいしさが評価され始めます。この時点で中華街の店舗約500軒中176軒が料理店となり、完全に「グルメタウン」のイメージが浸透しました。



菜香市場通り店
(右)張蘇小玲さん
1983年入社当時珠江飯店勤務
(左)何婉真さん
1989年入社当時珠江飯店勤務
その頃のお客さんお金イッパイ。バブルね(笑)中国風鯛のさしみ、フカヒレ姿煮、高い料理たくさん出るね。大きい宴会も多かったです。お昼も忙しいよ。サンマーメン(もやしそば)、パイコーメン、しいたけそばはいつも人気。アマーはその頃レジに座ってて、ママもホールの人もみんな親切。家庭的でいつも明るいね。だからお客様たくさん。お金あるもないも関係ない(笑)。ホントよ!

90年代(平成2年〜そして…) トップへ

バブルとともにグルメブームが日本中を覆い、中華街は連日マスコミに取り上げられ、どの店も列をなす大にぎわいとなりました。そんな状況の中、1993年珠江飯店は鉄筋7階建ての大型店に大変身。香港より厨師を招き、先代の伝統と新しい流れをミックスしたより幅広い料理を提供し、現在に至っています。
現在の外観


孫の紗耶香(さやか)ちゃんと。
取締役 劉麗娟さん(愛称ママ)
 さまざまな時を経て、お店も料理も様変わりしてまいりましたが、いつの時代もお客様に喜んでいただけますよう常に心掛けております。お料理の味はもちろん、よいサービス、さらに楽しみが増しますようにとポイントカードも導入いたしました。お店はきれいになりましたが、昔、アマーがいた頃のよいところは生かし、残し伝えていきたいですし、それがこれからの珠江飯店のあるべき姿ではないかと考えております。
 これからも、一層のご愛顧、よろしくお願い申し上げます。



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